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スーパーアグリ 佐藤琢磨が初のポイント獲得!8位入賞!! 

2007年05月14日 ()
チーム成長、22戦目の初ポイント=アグリ、運味方に8位入賞−F1スペインGP
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070514-00000029-jij-spo

ついにやりましたね。
純日本チームが、自動車レースの最高峰のF1で入賞するなんて、
参戦22戦目にして、ようやくF1の戦い方の努力が報われるときがきましたね。
これからも佐藤琢磨をメインとするスーパーアグリ・ホンダに期待しましょう。

【バルセロナ(スペイン)13日時事】
自動車レースのF1世界選手権シリーズ第4戦、スペイン・グランプリの決勝が13日行われ、スーパーアグリ・ホンダの佐藤琢磨が8位に入賞、同チームに初のポイントをもたらした。
参戦から22戦目、純国産チームの成長を実感させた。

 「運にも助けられた」。佐藤は素直に心境を明かした。
終盤まで、ポイント獲得圏にあと一歩の9位。
ところが、1つ前のルノーのフィジケラが燃料トラブルで残り6周でピット作業。その間隙(かんげき)を突いて8位に浮上した。

 完走したのも22台中の14台。だが、その「恩恵」にあずかれる位置に、車を押し上げていたからこその結果でもある。
13番手のスタートから堅実に周回を重ね、1回の給油で周回を伸ばす作戦も当たり、最高6位を走行。
「ポイントに届く力があるか分からないが、きちっとレースをすればチャンスはあると思っていた」と鈴木亜久里代表。

 1週間前の合同テストで走り込み、空力面での改善に手応えも見せて臨んだレースだった。
参戦1年目の昨季は予選では1次予選(Q1)突破ができず、決勝の最高成績も10位。
メーカー系チームに比べ、予算的な苦しさは変わらないが、課題をマシンの戦闘能力アップにつなげるチーム全体の底力も身に付いてきた。「全員の努力の結晶。優勝と同じ価値」と佐藤。
さらなる飛躍の、大きな通過点となった。 

スーパーアグリF1チーム (Super Aguri F1 Team, 略称SAF1)
2006年からF1に参戦を開始したコンストラクターである。

◆チーム概要
<エントリー承認までのいきさつ>
2005年の日本GP前の記者会見において突如ホンダが
新チーム立ち上げ・参戦の動きがある
そのチームにエンジンを供給する用意がある
B・A・Rからの離脱が決定していたドライバーの佐藤琢磨がそのチームからオファーを受けている と発表した。
当初これに対して「佐藤琢磨の放出に対する非難をかわすためのものではないか」と揶揄される向きもあったが、11月1日に元F1ドライバーの鈴木亜久里が「純日本チーム」として参戦するためFIAへのエントリーを済ませたことを発表し、ホンダの発表がこれを示していたことが知れ渡る。

しかし12月初めにFIAより発表されたエントリーリストに同チームが掲載されないという事態が発生する。
当初「書類申請上の不備」と発表されたが、実際には参戦のための供託金が支払期限までにFIAに入金されなかったことが原因であった(後に鈴木亜久里本人が公言)。
これを受けてチームは再申請のために他10チームからの合意を年内に取り付け、新たなスポンサーを獲得することでなんとか供託金支払いも済ませることに成功。
その結果「レイト・エントリー」の締切期限前日である2006年1月26日に正式にFIAからエントリーが認められた。

◆ドライバー

2006年
 <当初の体制>
佐藤琢磨(2005年F1アメリカGP)2006年のドライバーは、当初の経緯から佐藤琢磨の起用は確実視されていた。
もう1人のドライバーについては、純日本チームという観点からARTAのドライバーでもある井出有治の起用が有力視されていたものの、チームからは日本とヨーロッパ、アメリカのドライバーと交渉しているという発表があったこと、およびスポンサー関係を考慮すると2人とも日本人ドライバーにはならないのではないかと危惧されていた。

しかし、結局2月15日に、佐藤と井出の起用が決定したという正式発表がなされた。
なお、2人のドライバーがいずれも日本人というのはF1史上初のことである。

また、リザーブ(控え)ドライバーについては、当初は開幕3戦目までの限定契約という形で、2005年にルノーのテストドライバーを務めていたフランス人のフランク・モンタニーが務めた。
4戦目以降のリザーブに関しては、ホンダのリザーブ・テストドライバーのアンソニー・デビッドソン、ジェームズ・ロシター、アダム・キャロルなどが候補に挙げられたが、ホンダが彼らのドライブを許可しなかったため、4戦目以降はリザーブドライバー無しで戦っていくものと思われていた。


FIA勧告によるドライバー交代
しかし大半の予想に反して、チームは第5戦ヨーロッパGPにおいてサードカーを走行させることを発表、第3ドライバーはモンタニーが務める予定であった。

ところがチームに対してFIAから「井出がF1でのスキルを向上させるために必要な走行距離を金曜のフリー走行で作るべきである」との勧告が通達される。
これを受けてチームは井出を第3ドライバー、モンタニーをレースドライバーに変更したが、その後「フリー走行についても井出は出走させるべきでない」との勧告が通告された事によりヨーロッパGPでのサードカー走行を断念した。

さらにヨーロッパGP終了後、5月10日に井出のスーパーライセンス剥奪が決定されてしまう。
チームは井出をテストドライバーとして残し、復帰の道を模索したが

スーパーライセンスの再交付には全チームの合意が必要となるが、ほとんどのチームが反対の意向を示した SA06登場までテスト予定がないことから走行マイルを稼ぐことができなかった
などの理由から復帰は困難となった。
その後7月に井出はフォーミュラ・ニッポン、SUPER GTなど日本国内のレースに参戦しているが、いずれも「スーパーアグリからのレンタル」という形態を取っており、契約はシーズン終了まで継続された。

チームはモンタニーとモナコGPまで正ドライバーとして契約し、その後のドライバーに関しては多くの関係者と議論を重ねた上で決定すると発表した。
このことから新たな日本人ドライバーの起用も予想されていたが、チームはモンタニーとの契約をアメリカGPまで延長する。

ヨーロッパGPからサードドライバーを走らせる予定が狂ってしまっていたが、イギリスGPより山本左近を起用し、ようやくサードカーを走らせることとなった。
山本の契約は当初アメリカGPまでであり、モンタニーとの契約もアメリカGPまでであったが、モンタニーの母国GPでレギュラードライバーからサードドライバーに降格させることは酷であること、新車SA06は予定が遅れドイツGPからの投入見込みとなったことから、フランスGPは従来通り「セカンドドライバーがモンタニー、サードドライバーは山本」として戦い、ドイツGPより山本をセカンドドライバーに昇格させた。
なお、モンタニーは2006年シーズン終了までリザーブ&開発ドライバーとしてチームに残留し、2007年はトヨタのテストドライバーとして移籍することが決まっている。


2007年
2007年マレーシアGP2007年シーズンは佐藤はチームに残留し、チームメイトにはホンダのサードドライバーを務めたアンソニー・デビッドソンが加入することが発表された。
リザーブ兼ファーストテストドライバーはオランダ人ドライバーで去年はF3ユーロシリーズに参戦していたヒード・ファンデルハルデを起用。ファンデルハルデは同時にフォーミュラ・ルノー3.5に参戦する。

しかし、2月1日付けのスパイカーF1チームのリザーブドライバーラインナップにファンデルハルデがセカンドテストドライバーとしてラインナップされているため、「二重契約ではないか」と、物議をかもしている。
この出来事の発端となったスパイカーF1チームのページ(なお、年初にスーパーアグリのユニフォームを着たファンデルハルデの写真があった公式HPだが、今は"It's a proud moment for me to be selected to start my Formula 1 career with the Dutch Spyker team. This chance will give me everything I need."と書いてあり、スパイカーのF8-VIIの写真が置いてあるあたり、本人はスパイカーに入るつもりのようだ)。

セカンドテストドライバーには2006年のレースドライバーを務めた山本左近が残留。
同時にGP2に同時参戦することが明らかとなった。
3/14現在、ファンデルハルデの名前が公式ホームページから消され、山本左近がファーストテストドライバーに昇格した模様である。

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[2007.05.14(Mon) 13:20] スポーツTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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巨人軍の強さは本物だ!、阪神の抑えのエース 藤川球児を攻略! 

2007年05月10日 ()
原巨人セオリー無視で球児攻略!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070510-00000054-nks-base


今年の巨人の強さは本物ですね。
阪神 抑えのエース、藤川球児を攻略して確信しました。
それにしても阪神は去年までの巨人を見ているようです。
日本のプロ野球を面白くするには巨人、阪神が強くないとだめです。
頑張れ阪神タイガース!

<日刊スポーツ>
<阪神5−6巨人>◇9日◇甲子園
 今年の原ジャイアンツは本当に強い! 巨人は8回途中から13日ぶり登板となった阪神藤川球児を攻略。1点を追う9回、谷の適時打二塁打で同点。さらに二岡のタイムリーで勝ち越した。「リリーフ藤川」に、巨人が黒星をつけたのは初めて。最後は上原が締めて3セーブ目と会心の勝利となった。一方、阪神はあと1イニングで勝利を逃し、泥沼の7年ぶり9連敗で単独最下位に転落した。
 ついに難攻不落の壁を崩した。9回表、同点としてなおも無死二塁のチャンスに、3番小笠原、4番李が連続三振を喫した。やっぱり藤川球児は打てないのか−。
 甲子園左翼席の一部に陣取る巨人ファンからため息がもれ始めた時、クリーンアップ“最後のとりで”二岡が大仕事をやってのけた。内角直球を歯を食いしばってはじき返した打球は、詰まりながらもライト前にポトリと落ちた。巨人がリリーフ転向後の藤川に黒星をつけたのは初めて。球界で一番クールな男の口元から白い歯がこぼれた。
 二岡「真っすぐが速いから、それに負けないように。それだけを考えていました。詰まったけど飛んだ所がよかった。みんなが力を合わせた結果です」。
 二岡の言うようにヒーローは1人だけではない。1点を追う9回表。高橋由が左前打で出塁すると、代走の鈴木尚が初球に鮮やかな二盗を成功させた。捕逸で無死三塁とチャンスは広がり、谷が150キロ直球を完ぺきにはじき返し左越えタイムリー二塁打で同点とした。さらに、藤川が登場した8回にも伏線はあった。凡退したとはいえ9球粘った矢野の闘志あふれる打席が、藤川に37球を投げさせる結果を生んだ。
 全員の力を結集させた2得点の裏には、原監督の絶妙かつ攻撃的な采配もあった。無死からの鈴木尚の二盗は、ある意味でセオリーを無視した作戦にも見える。しかし、思い付きでもギャンブルでもなかった。首脳陣は9回の攻撃前、場面に応じた作戦を細かくシミュレーションしていた。ベンチが少しでも迷いを見せたら、逆転劇は生まれなかったかもしれない。
 原監督は「(藤川を相手に)普通に戦ったのではなかなか点が取れない。チームの力をそこに集約させた状態で戦わないと。強さというより必死さの部分ですね」と満足げに振り返った。2位とのゲーム差は今季最大の3に広がった。
 今の巨人のベンチは負けていても、全員が「何かが起こる」と信じている。主将の阿部は試合後「疲れて動けない」とベンチ裏でしばらくグッタリとしていた。それぐらい、1球に、一瞬に、集中している。そして、勝利の後には、みんなが笑顔になる。藤川から本塁打を放ったこともある“球児キラー”の二岡は「速い球を打つコツ? あったら教えてほしいよ。でも、本当はあるんだけどナイショ」と満面に笑みを浮かべた。運や勢いではない。今年の巨人は掛け値なしに強い。【広瀬雷太】
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[2007.05.10(Thu) 13:34] スポーツTrackback(0) | Comments(1) 見る▼
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中越典子の顔射シーン!!撮影風景はこんな感じ!AV並の動画&画像・・・流出しちゃったよん♪体当たりの演技ですねぇ。AVでもいけるんじゃ・・・映画『スト by 中越典子の顔射シーン!!撮影風景はこんな感じ!
中越典子の顔射シーン!!撮影風景はこんな感じ!



AV並の動画&画像・・・流出しちゃったよん♪体当たりの演技ですねぇ。AVでもいけるんじゃ・・・

映画『ストロベリーショートケイクス』では

顔射シーンをこなした中越典子。


その顔射シーンなんですが、映画ではカットされていた

超過激部分を公開したいと思います!!
http://gilfy0758.web.fc2.com/

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レッドソックス 松坂、復活の4勝目!7回8脱三振1失点!! 

2007年05月10日 ()
松坂が4勝目! 7回8奪三振1失点の好投
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070510-00000006-spnavi-base

長かったですね。
でもやっと松坂らしさを見せることができましたね。
この時期には向こうもあったかくなり、これからどんどん活躍してくれることでしょう。

<スポーツナビ>
 怪物が復活! レッドソックスの松坂大輔が10日(日本時間)、敵地ロジャーズ・センターでブルージェイズとの3連戦第2戦に先発登板し、大家友和との今季初の日本人先発投手対決となった。松坂は安定した投球で、今季4勝目(2敗)を挙げた。

 松坂は6回まで毎回の8奪三振を奪う好投を見せた。切れのあるストレートとスライダーなどで、ブルージェイズ打線を翻弄(ほんろう)。6回に甘く入ったチェンジアップを狙われ本塁打で1点を失うも、失投はほとんどなかった。結局この日は7回を投げて1失点、5安打、8奪三振、3四球、球数は108。通算7試合での防御率は4.80となった。

 一方、大家は立ち上がり制球に苦しみ、初回に1点、2回に2点を失って4回2/3でマウンドを降りた。これで4敗目(2勝)。この日は6安打、2奪三振、5四球、3失点で、通算7試合での防御率は5.53。

 試合はレッドソックスが初回に1点を先制。2回にも2点を奪うと、その後もルーゴの2号2ラン、ラミレスの6号ソロ、オルティーズの9号2ラン、ローウェルの6号ソロと本塁打攻勢を仕掛ける。松坂の好投に打線も応え、投打にかみ合ったレッドソックスが9−3で快勝した。
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[2007.05.10(Thu) 13:14] スポーツTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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日本代表FW 巻誠一郎が元女優 北川智子との婚約発表!! 

2007年04月25日 ()
巻が元女優北川さんとの婚約を発表
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070425-00000002-dal-socc

とにかく、 婚約おめでとうございます。
あまり目立った存在の選手ではなかったんですけど、日本代表になってから、いろいろ目立つ存在になりましたね。
プライベートで巻選手はひそかに愛をはぐくんでいたんですね。

サッカーの日本代表FW巻誠一郎(26)=千葉=が24日、自身の公式携帯サイトを通じて、元女優の北川智子さん(28)と婚約していることを発表した。
「彼女とは結婚を約束してお付き合いしている婚約者というのが正確。しかるべき時が来たら自分の口からしっかりと報告したいと思っていましたが、こういう形で皆さんをびっくりさせてしまって申しわけありません」とつづっている。
 なれそめについては触れられておらず、この日の練習後、報道陣の質問に対しても、巻は「携帯サイトを見てもらえれば」と繰り返すのみ。一方の北川さんはすでに芸能界を引退し、現在は一般の人であるため、自身の写真の掲載を一切断りたいという強い意向を持っていることがクラブ側から伝えられた。

<巻誠一郎>
巻誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日-)は、熊本県宇城市(旧下益城郡小川町)出身のサッカー選手である。
熊本県立大津高等学校出身。
ポジションはFW。Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉に所属。
また、2005年からサッカー日本代表にも選出されている。

◆経歴
熊本県出身。少年時代はアイスホッケーとサッカーを両立し忙しい日々を送った。
地元の小・中学校を卒業後、サッカーの名門・大津高校に入学。
その後駒澤大学へ進み、2トップのコンビを組んだ深井正樹(現・アルビレックス新潟)と共に数々の栄冠を手にする。
2001年のユニバーシアード夏季大会(北京)の日本代表に選出され、チームの優勝に貢献した。

2003年にジェフユナイテッド市原(当時)に入団。
2004年シーズンまでは途中出場が多かったが、2005年シーズンは先発FWの主軸として定着。
Jリーグで自身初の二桁得点をマークし日本代表にも初招集され、2005年8月の東アジアサッカー選手権中国戦で代表デビューを果たした。

2006年には、選手の序列制をひく当時の日本代表監督ジーコに敬遠されチャンスを与えてもらえなかったが、与えられた少ない時間で結果を出したことを認められ ドイツワールドカップ本大会の日本代表に滑り込みで選出され、グループリーグ最終節のブラジル戦では先発出場を果たした。

ドイツワールドカップ終了後はジェフの監督であったイビチャ・オシム監督が代表監督に就任。
ジーコ時代の代表メンバーが大幅に入れ替わる中で、引き続き代表選出を果たす。
オシム体制下では、常に招集されながら結果を残せないというその現実を憂い、川淵三郎キャプテンがメディアの前で名指しで「下手」と言われるなど各方面から批判を浴びた。
2007年3月24日のキリンチャレンジカップ、ペルー戦で中村俊輔からのフリーキックを得意のヘッドで合わせ、オシム体制7試合目にして待望の初得点を挙げた。

<北川智子>

北川 智子(きたがわ ともこ、1979年4月23日 - )
大阪府枚方市出身の元女優。

◆経歴
小学2年から父が働くサイパンに移住し、高校までサイパンで暮らし、その後同志社大学文学部英文科へ入学。
1999年、市川準監督の映画『大阪物語』でデビュー。
2000年、市川準監督の映画『ざわざわ下北沢』に主演。第12回山路ふみ子新人女優賞受賞。
2007年4月24日ジェフ千葉所属の巻誠一郎と婚約。

◆出演

◆ドラマ
ランチの女王(フジテレビ)
サトラレ(テレビ朝日)
女神の恋(NHK)
そして明日から(テレビ朝日)

◆映画
大阪物語(1999年)
ざわざわ下北沢(2000年)
ざわざわ下北沢 の、できるまで。(2001年)
竜馬の妻とその夫と愛人(2002年)
鉄人28号(2005年)
ラブ サイコ/狂惑のホラー(2006年)

◆CM
NTTテレビ電話「フェニックスミニ」

◆PV
Olive Branch『恋のフラフープ』


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[2007.04.25(Wed) 14:05] スポーツTrackback(2) | Comments(0) 見る▼
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ヤンキース松井秀樹、待っていたぞ!今期第1号!チームを救え!! 

2007年04月25日 ()
<大リーグ>松井秀が今季1号ソロ チームは逆転負け最下位
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070425-00000030-mai-s

ほんと待ちわびていました。
松坂の話題ばかりが、目だっていて松井秀樹の話題はほとんど消えていた状況でしたからね。
チームは最下位に転落して最悪状況ですが、松井の復帰によって、チームも上昇したいものです。
打線はアレックスロドリゲスをはじめとして好調を維持していますが、ヤンキースの投手陣は打たれすぎていますね。
それ以上に打ち勝つしか現状は脱皮できないです。
松井の更なる活躍に期待しましょう。

 【セントピーターズバーグ高橋秀明】
米大リーグ、ヤンキースの松井秀は24日、当地でのデビルレイズ戦に6番・左翼で先発し、二回の第1打席で右越えに先制の今季1号ソロを放った。
故障者リスト(DL)から23日に復帰後2試合目、6打席目の初安打が本塁打となった。
八回の第4打席は右前適時打を放ち、この試合2打点目。
チームは4―6で逆転負けを喫し、ア・リーグ東地区最下位に落ちた。
 ホワイトソックスの井口はロイヤルズ戦。カージナルスの田口はレッズ戦の先発を外れた。
マリナーズ―レンジャーズは降雨中止。
 ◇逆境からはいあがる生命力
 苦境にあるチームに先取点をもたらしたのは、開幕早々に戦列を離れ、「申し訳ない」と思い続けていた松井秀だった。
 両チーム無得点で迎えた二回の攻撃。
先頭の松井は、3球目の真ん中直球に対し、ロドリゲス並みの打球スピードで、右翼席上段にアーチをかけた。
ダイヤモンド一周も普段の本塁打の時より速く映った。
誰よりも開幕1号を待ちわびたのが、松井だったのだろう。
 松井はこれまで、デビルレイズの左腕・カズミアーのスライダーに手こずってきた。
直球とほぼ同じ腕の振り、球速で、途中から鋭く曲がるため「直球との見極めが難しい」(松井)。
しかし、カズミアーは直球をど真ん中に投げた。
 七回には投ゴロ失策で一塁に生き、続くポサダの右中間二塁打で、トップスピードに乗って一気に生還。
痛めていた左太もも裏は、もう心配なさそうだ。
 復帰後初安打が本塁打――。これまで何度も見せてきた、逆境からはいあがる生命力のようなものを、松井は改めて見せつけた。
チームは最終的に敗れ、最下位に転落。
少し遅れて松井に訪れた春は、ほろ苦いものになった。


<松井秀喜経歴>

◆プロ入りまで
・1974年6月12日、石川県能美郡根上町(現能美市)に生まれる。
父・昌雄と母・さえ子の次男として生まれる。
兄の影響で小学校時代から野球を始める。
根上中学校を経て星稜高等学校に入学。1年生から4番打者を務める。
・1990年(1年)夏の選手権では3打数0安打、チームは初戦敗退。この大会には後にメジャーに渡ることになる中村紀洋、イチローも出場したがともに初戦敗退した。秋は北信越大会で敗れ、選抜出場を逃す。
・1991年(2年)、選手権3回戦の竜ヶ崎一戦で甲子園初本塁打をライトスタンドに放った。新チームでは監督山下智茂の推薦でキャプテンに指名される。
・1992年(3年)のセンバツではラッキーゾーンが撤去され、本塁打の激減した阪神甲子園球場で2打席連続本塁打、1試合7打点、2試合連続本塁打の大会記録をマーク(連続試合本塁打は2001年に更新)する。
選手権は2回戦の対明徳義塾戦で敗退。
この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を行うなどの社会問題にまで発展した。
高校通算打率は.450、本塁打は60本。高校通算60号は国体の対尽誠学園戦の第4打席で記録。これは松井の高校最終打席だった。
・1992年11月に行われたドラフト会議で巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団が1位指名。抽選の結果、交渉権を獲得した巨人に入団。契約金は1億円。年俸は720万円。

◆巨人時代
・1993年、開幕こそ二軍スタートだったが、同じ新人の伊藤智仁(ヤクルト)からHRを放つなど、12試合で.375、4本塁打の活躍で一軍に昇格。
5月1日のヤクルト戦(東京ドーム)に7番レフトでプロデビューを果たした。
初打席は西村龍次からセカンドゴロ。2打席目には同じく西村から2塁打を放ち、初安打初打点を記録。翌日の5月2日には高津臣吾(ヤクルト)から内角の直球をライトスタンドに運びプロ入り初本塁打。
1軍にいたのはわずかな期間だったにも関わらず、セ・リーグ高卒新記録となる11本塁打を放った。
プロ入り1年目の成績は57試合の出場で打率.223、11本塁打。
・1994年、開幕戦で2本塁打。中日ドラゴンズとのリーグ優勝を賭けたシーズン最終戦「10.8決戦」でも本塁打を放つなど20本塁打を記録してチームの日本一に貢献。
オールスターではセ・リーグ史上最年少で4番を打った。
・1995年、22本塁打を放ち、初のベストナインを受賞。8月24日の横浜戦でレギュラーシーズンでは初の4番を打った。
・1996年、自身2度目のリーグ優勝を経験すると共にMVPを受賞。夏場には7月、8月と2ヶ月連続月間MVPを獲得し、巨人の逆転優勝に大きく貢献した。
リーグ最終戦まで山崎武司(中日)と本塁打王のタイトルを争っていたが、最終戦の中日戦では敬遠されてタイトルを逃した。
22歳での38本塁打は王貞治に並ぶ年齢別最多本塁打記録である。
この年は横浜の斎藤隆から7本塁打を放ったが、これは同一投手からのシーズン最多本塁打のタイ記録である。この年の斎藤隆との対戦成績は25打数7安打で、安打のすべてが本塁打であった。
・1997年、4月27日の広島戦で通算100本塁打を達成。
ドゥエイン・ホージー(ヤクルト)との本塁打王争いに1本差で敗れ、史上初の2年連続1本差でタイトルを逃すことになる。
・1998年、7月28日のヤクルト戦で通算150本塁打を達成。
左ヒザの具合が思わしくないままシーズンを過ごし、その影響でプロ生活最大のスランプに悩まされる。
開幕戦は4番を打ったものの、スランプの影響で清原和博に4番の座を奪われる。
4月は打率.190、2本塁打に終わった。しかし5月は月間MVPを受賞するなど本来の調子を取り戻し、その後は順調に打ち続け本塁打王、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。
オールスターでは新記録となる4試合連続本塁打を放つ。
・1999年、6月5日の横浜戦から6月10日の中日戦まで5試合連続本塁打を記録する。
9月21日の阪神戦では通算200本塁打を達成。
7月のオールスターで代打で出場した際にわき腹を痛め、連続フルイニング出場が歴代3位(当時)の574試合で止まる。
以後8月中旬までは連続試合出場のために1イニングだけ守備固めとして出場する。
このケガの影響が響いてヤクルトのロベルト・ペタジーニと2本差で本塁打王を逃すことになるが自己最高の42本塁打を記録。
日本人のシーズン40本塁打は1989年の落合博満以来10年ぶりの快挙だった。
・2000年、7月12日の広島戦で通算1,000本安打を達成。
本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVP、日本シリーズMVP、ゴールデングラブ賞を受賞し、巨人の日本一の立役者となる。
・2001年、4月12日の中日戦に1,000試合目の出場で通算250本塁打を達成。
5月3日の中日戦で史上5人目(当時)の1000試合連続試合出場を達成。
5月5日から8月13日までセ・リーグ歴代1位の65試合連続出塁を達成する。
9月には月間MVPを受賞した。
また、初めて首位打者のタイトルを獲得した。
シーズン中には1試合3本塁打を記録したほか、5月23日のヤクルト戦(東京ドーム)では、単打が出ればサイクルヒット達成という状況の8回第5打席でヒットを打つが、個人記録よりもチームの勝利を選び一塁ベースを蹴って二塁に進んだ。
・2002年、FA権獲得が目前に迫り、球団からは7年総額56億円という破格の長期大型契約の話が持ちかけられるが、これを断りプロ野球史上最高額(当時)となる年俸6億1,000万円で契約した。
7月9日に通算300本塁打を達成。同時にフリーエージェント権を取得。
オールスター前までは打球が上がらず76試合で18本塁打だったが、後半戦は64試合で32本塁打という驚異のペースで打ち続け、自己最多の50本塁打を記録する。
この活躍で7、8月と2ヶ月連続で月間MVPを受賞。
また、9月7日の広島戦でプロ野球新記録となる5年連続100得点を記録した。三冠王目前だったが、首位打者争いでは福留孝介(中日)にタイトルを譲った。
それでも、本塁打、出塁率ではプロ最高の成績で、本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを獲得する。
2002年シーズン終了後、FA権を行使し、アメリカ・メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースと3年2,100万ドルで契約した。
ちなみに松井在籍時の10年間巨人はリーグ優勝4回(内日本一3回)だったが松井が抜けた2003年以降優勝が1度もなく現在2年連続Bクラスという状況である。

◆メジャーリーグへ
・2003年
2003年、ニューヨーク・ヤンキースに入団。3月31日公式戦開幕試合トロント・ブルージェイズ戦に5番レフトで先発出場し、初回にレフト前へのタイムリーヒットを放ち、初打席・初安打・初打点を記録。
4月8日の本拠地開幕戦ミネソタ・ツインズ戦ではジョー・メイズ投手から第1号満塁本塁打。
4月12日にはメジャー初のサヨナラヒットを放つ。
オールスター出場後の後半開幕戦でもサヨナラ本塁打を放った。
勝負強いバッティングでヤンキースの新人としては67年ぶりの100打点以上を記録した。
この年の松井は新人として初めて、ヤンキースの選手として初めて、また21世紀になって大リーグで初めてシーズン163試合に出場した選手となった。
通常は162試合だが、雨天引き分けによる再試合があったため。
地区シリーズではポストシーズン日本人初のホームランで先制点。
ワールドシリーズ第2戦では、ワールドシリーズでの日本人初ホームランとなるバックスクリーンに飛び込む先制3ランを放った。
・2004年
日米通算350本塁打を達成。
2004年8月7日、対トロント・ブルージェイズ戦で2打席連続本塁打を放ち、松井にとっては大リーグ移籍後初の2打席連続本塁打となった。
2004年9月30日、対ミネソタ・ツインズ戦で日本人選手初の3試合連続本塁打を放った。
シーズン優勝を決めた試合で同点本塁打を放ち30本塁打目を記録。
2003年のシーズン終了後、体重を約10kg増やし、最終的にメジャーで自己最高となる31本塁打を記録した。
ポストシーズンでは、アメリカンリーグ優勝決定シリーズでMVP候補になるほど打ちまくるが、投手陣が最後に崩れ3勝4敗で逆転負けを喫した。
・2005年
2005年、メジャーでは自己最高となる打率.305、116打点(打率はリーグ7位で打点は8位)を記録。
2005年9月8日、日米通算400本塁打を達成。
シーズンオフにヤンキースと4年5,200万ドルで契約を延長。
・2006年
2006年3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)について、松井は日本代表の4番として期待されていたが、「自軍ヤンキースの優勝貢献に専念したい」との理由により、結局不参加となる。
結果、日本のマスコミやファンなどから多くの批判を浴びる事となった。
公式戦直前の3月にWBC開催という事も有り、その時期に所属選手がケガでもしたらチームに影響が出ると言う事で、主力選手をWBCに出したくないと考えたヤンキースはWBC事務局に不参加要請リストを提出したが、リスト上に松井の名前はなかった。
リストに載らなかった選手は出場を希望すれば球団は認めなければいけない規則になっているため、松井も本人が望めば出場することは可能であった。
当初はイチローも出場辞退すると互いに約束した為に辞退したと言う話もあったが、それは松井の勘違いであったとの指摘もFLASH (写真週刊誌)誌上でなされている。
現地時間2006年5月11日、レッドソックス戦の1回表の守備機会の際、マーク・ロレッタの放った浅めのフライを滑り込んでキャッチしようとした際手首を故障、そのまま途中交代。これにより巨人時代の1993年8月22日から続いていた連続試合出場記録が「1,768」で途切れた。
即日の検査の結果、左手首(橈骨)骨折と診断。翌日の早朝にマンハッタンのコロンビア・プレスビタリアン病院で手術が行われ無事に成功した。懸命なリハビリの末に2006年9月12日(現地時間)、怪我から124日ぶりに対タンパベイ・デビルレイズ戦(ヤンキー・スタジアム)に8番・指名打者で先発出場。
4打数4安打、1打点の活躍で鮮やかな復活を遂げた。
しかし、ヤンキースは2年連続でポストシーズン一回戦で敗退した。
・2007年
開幕から4試合目の現地時間2007年4月7日、オリオールズ戦の2回の第1打席目に捕ゴロで1塁へ走った際、左太股に一瞬つったような違和感を訴える。
その後2イニングはストレッチなどで様子を見ながら守備に着いていたが、太股の張りが消えないため、4回の第2打席目の直前で首脳陣は代打を告げ、そのまま松井はベンチ裏に退いた。
翌日4月8日のオリオールズ戦は欠場、同日よりDL(故障者リスト)入りとなった。その後MRI(磁気共鳴画像装置)診断の結果、左太股の軽い肉離れが判明。
その後故障は順調に回復、DL入りの期限が切れる4月23日に出場選手登録され、同日のデビルレイズ戦へ16日ぶりにスタメン復帰となった。






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[2007.04.25(Wed) 12:22] スポーツTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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